2022年4月24日に放送された「関ジャム 完全燃SHOW」「ミスチルと私」というテーマでMr.Children 特集でした。


↓2022年5月15日までTVerで無料で見られます。(いつもは放送後1週間とかなのに太っ腹。30周年だから?)


ミスチル特集はデビュー25周年だった5年前くらいにも関ジャムでやってましたが(5年周期でやるのか!?)、今回はテーマにもなっているようにミスチルそのものの紹介というよりは音楽家の方々の人生においてミスチルがどういう影響を与えてきたか、という話がメインに扱われていました。実質的にファン同士のオフ会です。電波に乗ってますけど。


その流れに乗って僕自身も「ミスチルと私」というテーマで書いてもいいんですが今回はそれは割愛するとして、ここ数十年のJ-POP界隈においておそらく最も「ミスチルと私」というテーマで誰かの人生において重ねて語られてきたのではないかと思われるMr.Childrenという存在に関して、そのフロントマンを務める桜井和寿さんの大きな転機となった印象的なエピソードについて紹介したいと思います。



最初にソースを言っておくと、このエピソードが掲載されているのは何かあるたびに僕がやたら引っ張り出してくる雑誌「MUSICA(ムジカ)」の2010年1月号 Vol.33です。


ここでは2000年代を振り返るという趣旨で、2000年代を通して日本の音楽シーンの中心にいたアーティストの一人としてミスチル桜井さんがインタビューを受けていました。



エピソードを紹介する前に少し背景を補足します。



ミスチルが「ミスチル現象」と呼ばれるほどの勢いで活躍したのは1990年代のことではありますが、1990年代には同じように、あるいはそれ以上の勢いを誇ったアーティストは他にも少なからずいました。


しかし、そうしたアーティストのほとんどが2000年代に入って以降CD不況も相俟ってか急速に売上規模が萎んでいき、そこからセールス的な意味での人気を盛り返すことは難しく、たまにプチヒットが出たらいいほう、という状況になっていました。



その中でミスチルは2000年代もずっと第一線で売れ続けました



2000年代にミスチルは7枚のオリジナルアルバム(うち1枚はカップリング集ですが)を出しましたが、CD不況で業界があえぐ中そのうち5枚がミリオンを売り上げました。


2000年代において瞬間最大風速でミスチルを大きく上回ったアーティストは何組もいましたが、しかしいずれもセールス的な観点では短命でそれを維持できた人は皆無と言っていい状況でした。(2000年代以降に全盛期を迎えた嵐とか、何十年もヒット出し続けるサザン桑田さんとかぐらいですかね)



とはいえ、実はミスチルは2000年に出したアルバム『Q』でミリオン割れを経験しています。



ミスチル自体は人気が最も加熱していたであろう1997年に6枚目のオリジナルアルバム『BOLERO』を出したあと活動休止をしました。


そのあとに出したアルバム(ライブアルバムもありましたが)『DISCOVERY』『Q』は、それまでの大衆的なヒットソングを歌うような方向性からはかなり離れ、ミュージシャンとしての音楽性を追究するような方向に向いていきました。


そして、それとともに売上も大きく落ち込んでいき、2000年にリリースされた9枚目のオリジナルアルバム『Q』ではついにミリオン割れしたのです。(といっても他の多くのアーティストからしたら十分売れていますし、「口笛」とかかなり売れ線だとは思いますが)


桜井さん自身はもうそのあと食っていけるくらい稼げていたのでそれ自体は気にしていなかったようですが(むしろ稼ぎすぎてることに罪悪感を覚えてBank Bandの活動とか始めるわけですが)、そんな風にリスナーのためや売れるためというよりはミュージシャンとしての自分のために音楽を作る方向に桜井さんが向かっていた時期が『Q』でした。



しかし、その方向性が2001年のベストアルバム発売以降大きく変わり、Mr.Childrenは「ポップ再生」というテーマを掲げて音楽の方向性をリスナー重視の路線に変えていきます。



そのあと2002年に発売された10枚目のオリジナルアルバム『IT'S A WONDERFUL WORLD』では再びミリオンを達成し、前述のようにこのあとのアルバムでもミリオンを連発していくことになります。




このような変化があった背景にはいくつかのきっかけがあったようですが、その中でも特に桜井さん曰く「自分達の音楽を本当に生命の支えにして聴いてくれている人がいるっていうことへの感謝というものを、凄くリアルに感じられる出来事」があったようでして、それが以下のエピソードです。(※編集者の方による注記なので桜井さん自身の語り形式ではありません)


ある時、死に直面した子供の両親から『その子のためにサインが欲しい』という依頼が桜井の元に届き、サインを贈るという出来事があった。そのことに対し、2002年に行った著者との取材で桜井は、『当時は人に対する猜疑心も強かったし、本当に病気で死に直面している子供が俺のサインで喜んでちゃダメなんじゃないかと思って。その子は僕の励ましの言葉より、両親がどんなに自分のことを愛してくれているかってことに気づくべきだって思ってたから、サインはしたけど、それ以上踏み込まずにいたんです。でも、結局その子は亡くなって、その3年後くらいにご両親の手記が送られてきて、それを読ませてもらった時に……自分がどれだけ思い上がっていたかということに気づいた。もっと自分はできたんじゃないかという後悔があったと共に、ミスターチルドレンは誰かの人生にとっての、何かの代用品でいいんだと思えたんです。本当は僕のサインなんかより大事なものが目の前にあることを、その人はとうにわかってる。わかってるけど、目に見えるものが欲しかったりすることってあって、その、身近にあるけど見えないものの代用品として僕らの歌があり、サインがある。それって素晴らしいことだなぁと思えたんです。そこで考え方が変わって、本当に影響を与えるんであれば、できる限りいい影響を、プラスを与えたいという気持ちが強くなったし、覚悟ができた』と語っている。なお、そのご両親の手記には"終わりなき旅"の歌詞が綴られていた


このご両親の手記の具体的な内容がどんなものだったかはわかりませんが、「死に直面した子供」の子はきっとご両親から大事にされていることを心の底から感じられていたのだと思います。


結果的にサイン色紙が手に入らなかったとしてもその子のためにご両親がサイン色紙を手に入れて贈ろうとしたということだけでその子からすればとても幸せに感じられたことでしょう。


でも、その子がどんなにそのことを感じていて有り難く思っていてもその思いそのものを見ることはできませんし、その子が亡くなってしまったらその思いは消えてしまうことになります。


それはご両親側から見てもそうで、その子のことをどんなに大事に思っていてもその気持ちそのものに触れたり、遺しておくことはできません。


でも、桜井さんがその子宛てに書いたサイン色紙があれば、それが遺っていれば、


その子がサイン色紙を欲しいと思えるぐらい好きなアーティストがいたこと、
その子のためにご両親がサイン色紙を贈ってあげたいと思えたこと、
サイン色紙をわざわざ手に入れて贈ってくれるような両親がいてくれたこと、


そういったものを形として遺すことができます。


勿論、サイン色紙そのものはそういった大事な思いに比べたら大したものではありません。きっとそのサイン色紙(を贈ってあげたいと思ったこと)もご両親がその子に注いだたくさんの愛情のうちの一部でしかないでしょう。


それでもサイン色紙があることでそういったものを一握りでも遺すことができますし、不完全だとしてもそれをなんとか遺したいと思えるほどの存在が確かにあったのだというその思いもまた、遺すことができるでしょう。


自分のサインが、歌が、音楽が、その人にとって本当に大事なもののために、その代わりにその役割を少しでも手助けできるなら……それはアーティスト冥利に尽きるようにも思えます。



上記を受けて桜井さんは「だから音楽に対する謙虚さ、聴いてくれる人がいるんだっていうことに対する謙虚さを取り戻したような、そんな時期かもしれないですね」と述べられており、2000年からの10年を振り返っている際にも「この10年間のいろいろなことが、あの出来事に返っていくんです」と語られていました。



このエピソードを踏まえると、ベストアルバム直後にリリースされた「優しい歌」の歌詞もかなり違って聞こえてくると思います。


誰かが救いの手を 君に差し出している
だけど 今はそれに気付けずにいるんだろう
しらけムードの僕等は 胸の中の洞窟に
住みつく魔物と対峙していけるかな
群衆の中に立って 空を見れば
大切な物に気付いて 狂おしくなる
優しい歌 忘れていた 誰かの為に
小さな火をくべるよな
愛する喜びに 満ちあふれた歌


これまでの自分に対する後悔と、ここから先ポップス(群衆のためにある意味「消費」される音楽)を真正面から向き合って作り続けるんだという覚悟をひしひしと感じますが、この曲が収録されている『IT'S A WONDERFUL WORLD』には他にも同じような方向性の曲がいくつかありますし、それ以降の曲にもあります。




一般的にはオリジナル……というか誰にでもは作れないような、取っ替えのきくものではないような、唯一無二なものということのほうが価値があると思われているかと思います。



それ自体はそうだとは思いますが、大事なものを大事にするというのは実際難しいことです。



大事なものを大事にしようとすること自体も、大事なものを失ったあとにどうすればよいのかということも。



その中で大事なものを大事にする手助けをしてくれるような(小さな火をくべてくれるような)もの、大事なものを失ったあとを埋めてくれる代わりになってくれるものというのはとても大事なのですが、その存在側から見ればサポート役や都合のいいときだけの代用品扱いされるというのは本妻に対する妾とかみたいにあくまでメインのサブ的な扱いなのでまあ普通はあまり気持ちはよくはないと思います。


言ってしまえば似せて作ったマガイモノみたいな扱いを受けるわけなので特にアーティストならなおさら抵抗あるでしょう。(実際のところは多くの人にとっては商業作品はそのように受容されているであろうとはいえ)



それでもそのことに誇りと覚悟を持って活動していくとミスチルは決めたわけで、だからこそ一度世間的には下降線を辿っていたところから復活し、今に至るまで長く第一線で活動し続けることができ、「ミスチルと私」(これ自体は一番組の一企画ですが)というように多くの人の人生に重ねられる存在であり続けることができたのかなと思います。



ミスチルの音楽に魅力を感じないという人がいたら、それは幸せなことです。代用品なんて必要ない状態なのだから。



でも、もしも代用品が必要なときが来たら……ミスチルはきっとハイエナのようにただ腰を振り続けてくれますよ!